電光石火カープ日本一

カープのことを綴る

カープ昔話

 大野対槙原。0行進で息詰まる投手戦。いつも大野が負けていた印象。

 そんな中で、1989年オールスター明け市民球場でのジャイアンツ戦は、川口対槙原。この年も槇原に、ことごとくやられていたカープ。この槙原に負けると7ゲーム差となり優勝は到底無理な状況になる一戦であった。

 そこでカープの取った作戦は、オールセフティーバンド。それをライトスタンドから見ていた。正田バンド。野村バンド。ロードンバンド。ロードンがバンドの構えをしたときのどよめき、次の回、小早川も構えをしたような記憶はあいまい。アレンは、かまえすらしなかったが、高橋、長嶋と構えで揺さぶる。この揺さぶりが効いてか7-0かで完勝。この試合は、このカープ野球と野村のライトの守備、1二塁間を破るライト前ヒットを鮮明に覚えている。最後はウェーブも起こりかなり印象に残っている。


この頃は、学生で、社会人になりたての頃までよく思いつきで大阪からわざわざ行っていた。全くチケットの心配をしないでいい時代であった。不思議と印象に残る試合が多く、また気が向いたら書いてみようと思います。


ずっとがんばれカープ。